マイケルがジャクソン5の一員としてアポロシアターの「アマチュアナイト」の舞台に立ったのは、1967年。2005年、同じ場所でTAKAHIROさんはコンテストを勝ち抜き、06年NBC番組『SHOWTIME at the APPOLO』で史上初の9週連続チャンピオンの座についた。その後、プロダンサーとして活躍の場を広げ、昨年はマドンナのワールドツアーに参加した。
「四六時中夢中になれる」ダンスと出合ったのは大学に入ってからだった。ダンスサークルで「マイケルみたいに踊ってみたい」と言い、ニックネームが「舞蹴龍(まいける)」に。04年、単身で当地に来るまでその名で踊った。高校生のころ、友人から借りた映像でマイケルを初めて見て、何度も何度も見ながらまねをしたという。
「マイケルのすごさはテクニックを使って『彼』の世界をみんなに見せたこと。ダンスや歌、舞台装置が化学反応して『マイケル・ジャクソン』という世界を生んだ」と熱く語る。
マイケルの訃報を聞いたのは、マドンナのツアーの最中だった。「彼」と仕事をしたことのある関係者がチームの中にはたくさんいた。何よりマドンナ自身が「彼」と親しかった。
「僕にとってマイケルはまるで映画の中の人だったけど、ツアーを通して『彼』の友だちと知り合って、初めてその人間味を感じた」
急逝を悲しむ気持ちは現場に色濃くあったが、「僕らがステージから届けるものが悲しみではいけない。プロのエンターテイナーとして、彼への敬意を伝えるべきだと、全員マイケルの手袋をして踊りました」と振り返る。
マイケルにムーン・ウォークを教えた振付師ジェフリー・ダニエルさんに、〝好奇心を持って挑戦的に新しい動きを生み出そうとする情熱と姿勢は「彼」に通じるものがある〟、と評された。しかし、「どんなダンサーもマイケルの影響を受けている」と言い、その評価にも甘んじず、前進することをやめない。
「マイケルは本当に天才だった。プロデューサーとして他の才能も最大に引き出して、エンターテイナーとして人のためにやっていた。歌とダンスも好きで好きで、ピュアだったと思う。僕はただ、その存在にありがとうって言いたい。手放しで驚ける、元気になれる世界を見せてくれた」
マイケルをはじめ多くのダンサーを見て「あんな風に体を動かせたら格好いい」とダンスを始め、今夏、日本で舞台「SIX DOORS」を初プロデュースし、また一歩その活動の場を広げた。
「日本人としての自覚と誇りを持って、世界中の人々の心を誘う表現、エンターテインメントを追求していきたい!」と力強く抱負を語った。
ニューヨークを拠点に活躍するダンサー、TAKAHIROさんは今回凱旋帰国し初の舞台プロデュースを果たした。
