レトロ作品 まったりレビュー

今週の1本 Le Ballon Rouge(邦題: 赤い風船)

映画監督・鈴木やすさんが、思い出の映画作品を、鑑賞当時の思い出を絡めてゆったり紹介します。


毎年7月は夏休みに入るので家族全員で楽しめる映画を紹介しようと努力している。これがなかなか難しい。小さな子供が安心して楽しめる映画は大人には物足りない。目を丸くして驚いたり笑ったりしている純粋な子供のリアクションを横目で見ながらほっこりと喜ぶことはできる。昭和のその昔、家庭の食卓の中心にはテレビがで〜んと居座っていた。それを家族全員で石器時代に火を囲む先人類のように崇めながら夕食をとったものだ。

コンプライアンスが今に比べてかなりゆるかった当時のテレビ放送は、家族団欒で映画を見ているとベッドシーンが乳房もあらわにいきなり出てきたりして平和な食卓に気まずい空気が流れて困ったものだった。そんな時はだいたいお父さんが咳払いをしてからわざとらしく話題を変えた。「今日は…学校は…どうだったんだ?」そんなアバウトな質問をされても…「うん…普通…」しまった、会話が途切れてしまった!まだしてやがる、はやくいけ! ベッドシーンはいっこうに終わる気配がない。焦る空気の中をなまめかしい喘ぎ声が平和な食卓に無情に響き渡る。

今では家族がそれぞれ、別のコンテンツを個人のデバイスから好きな時間に見る時代になった。うちの娘も自分の食事が終わると、さっさと自室に戻りラップトップで動画を見るようになってしまった。あの食卓での気まずい思い出も、今となっては懐かしいものになった。今回はこのコラム初めての34分の短編映画で確実に家族全員で楽しめる作品を紹介しよう。

静かな時間

ストーリーは至ってシンプル、34分間セリフはほぼ無く、小さな男の子が学校へ行く途中で赤い風船を見つけて喜ぶ。その風船を学校にも買い物にもどこに行くにも連れて行っていくうちに風船と男の子との間に友情が芽生え、赤い風船は意思を持っているかのように男の子についていき始める。しかしそれを妬んだ近所の悪ガキ達が風船を男の子から取り上げようと男の子と風船を執拗に追い回し始める。この映画を見ていたら、通りがかった妻が「あら、『レッド・バルーン』じゃないの!懐かしいわ」というので話を聞くと、この映画は僕たちの世代の多くの米国人は小学校の時に授業中に見た映画だそうだ。こんな素敵な映画を授業で見せるなんて米国もなかなかやるじゃんと思ってしまった。

なんと言っても1950年代のパリの景色が素晴らしい。僕たちの思い描く光り輝くシャンゼリゼ通りのパリの姿ではない。第二次世界大戦が終わって10年ほどしか経っていないパリはナチス・ドイツとの戦いの傷跡が街のあちこちに残っていて、廃墟や銃弾の跡があちこちに見られる。その暗く灰色のパリを背景に純粋な子供と鮮やかな赤い風船が街をゆく姿は、戦争に疲れ切った人たちに、さぞかし温かい未来への希望を与えた事だろう。そして、美しい動く映像と音楽という映画芸術のエッセンスがこの映画にはある。

僕は映画制作と並行してヨガを教えているので、沈黙の大切さをよく理解している。何もしないリラックスした静かな時間から脳内のスパークが起こりアイデアは現れる。ポール・マッカートニーは朝の静かな時間から『イエスタデイ』のメロディーが現れ、iPhoneはスティーブ・ジョブズの瞑想から生まれた。しかし現代は大人も子供も大切な何もしない静かな時間を皮肉にもそのスマホからのジャンクコンテンツで隙間もないほど埋め尽くしてしまう。34分間の美しい動画映像と音楽がいかに人の心を豊かにできるか、この映画を見て知ってほしい。

 

今週の1本

Le Ballon Rouge(邦題: 赤い風船)

公開:1956年
監督:アルベール・ラモリス
音楽:モーリス・ル・ルー
出演:パスカル・ラモリス
配信:YouTube

通学途中に男の子が赤い風船を見つけて、パリの街を歩き回る

(予告はこちらから

 

鈴木やす

映画監督、俳優。1991年来米。ダンサーとして活動後、「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」設立。短編映画「Radius Squared Times Heart」(2009年)で、マンハッタン映画祭の最優秀コメディー短編賞を受賞。短編映画「The Apologizers」(19年)は、クイーンズ国際映画祭の最優秀短編脚本賞を受賞。俳優としての出演作に、ドラマ「Daredevil」(15〜18年)、「The Blacklist」(13年〜)、映画「プッチーニ・フォー・ビギナーズ」(08年)など。現在は初の長編監督作品「The Apologizers」に向けて準備中。facebook.com/theapologizers

 

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